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Chapitre.19−有難う

Chapitre.19_有難う
「…おはよ。お寝坊さん」
目を覚ますと、そこにベッドに腰掛けたままのファイの姿があった。
彼はそっと小狼の頭に手を伸ばし、
「モコナ、ずっと頑張って起きてたんだけど、さすがにさっき眠っちゃったんだよ。」
と話す。
黒鋼もまた、疲労の色を顔に浮かばせ、部屋の柱にもたれかかったまま、
「…これ以上起きなかったら、拳骨食らわせるところだったぜ」
と呟く。どうやら、小狼はかなりの長時間、意識を取り戻さなかったようだ。
「…良かった…」
小狼が放った第一声に、「うん?」とファイが反応する。
「ん…、んん〜〜…、小狼!」
わずかな声に、寝付いたはずのモコナも反応する。
「小狼!小狼!!」
目に涙を浮かべたまま、モコナは小狼の目覚めを、跳躍とともに全身で表現する。
「…良かった。居てくれて…」
小狼が、穏やかな表情で、呟く。
「それはオレ達も同じだよ」
歓喜と安堵を浮かべるのは、他の3人も全く同じであった。
 
ふと、小狼が、天を見上げる。そこから、いくつもの花が舞い落ちる。
ほどなく、きらりとした光とともに、見覚えがある二体の狛犬が現れる。
「姫神様のところの子だ!」
モコナが、声を上げる。
「小狼君が起きた途端、お迎えかー。…どうする?」
ファイは笑みを浮かべながら、訊くまでもない問いを投げかける。
「行く。
 聞きたいことも、話したいこともある。
 …渡したいものも…。」
小狼の表情に、笑みはなかった。
 
二頭の狛犬の背にまたがり、姫神の居城へ向かう3人とモコナ。一頭の背には黒鋼と小狼、もう一頭の背にはファイとモコナ。
「その怪我…、おれが御嶽の中に居た間のものか…?」
小狼は、手綱の如く鬣(たてがみ)を握る黒鋼の腕に、何箇所も包帯が巻かれている事を見逃さなかった。
「といえば、そうなんだけど…。
 殆どは水に流された時、あちこちぶつけて出来たものだねぇ〜。」
無言の黒鋼に代わり、ファイが応える。
御嶽を押し流すまでの激流に巻き込まれた一行。その中で、ファイ、モコナ、そして小狼を、黒鋼は見つけ次第、太い両腕に絡め捕った。4人の身を抱えて自由が利かない黒鋼が、幾多もの瓦礫(がれき)とぶつかりあった痕が、怪我の所以(ゆえん)である。
「気がついたら、浜辺にみんなで仲良く打ち上がってたんだー。
 …あのあたりかなぁ?」
ファイは、狛犬が飛ぶ下を、いつもの笑顔を浮かべながら指差す。
「右近さんと左近さんがすぐ来てくれて、手当てして、
 オレ達が借りてるあの家に運んでくれたんだー。」
「ずっと、覗き見してたんだ。
 場所ぐらい、すぐ分かるだろ。」
ファイの言葉を、黒鋼が憤りを隠さないまま補う。
 
やがて狛犬は、姫神の居城のテラスに降り立つ。
送り届けた狛犬達が去るのを見届けた後、一行はつかつかと姫神の居室に向かう。
たどり着くと、天幕の中に姫神が、両側に右近と左近が、それぞれ、かしこまった表情で彼らを迎えた。
小狼が、姫神の元へ歩み寄る。
姫神は両の手を地に付け、頭を深く下げたまま、口を開く。
「…有難う。
 そして、ごめんなさい。
 …ニライカナイの理りに巻き込んでしまった…。」
「選んだのはおれだ。謝る必要はない。」
小狼は、おごることなく、姫神に向かい合った。
「それでも傷つけた。
 ごめんなさい」
姫神は、小狼に対して、精一杯の誠意を尽くす。
「なら、おれも詫びなければ。」
今度は、小狼が膝を地に付け、そして頭を下げる。
「御嶽を穢した。」
その行為の罪深さを知る、小狼。姫神もまた、その意味する事を知っていた。
小狼は、続ける。
「あの時『声』が、御嶽が穢れれば斎場としての神聖を失うといっていた。」
「そう。
 あの御嶽はもう無い。
 けれど、それも御嶽の選んだユタの選択。
 小狼が謝る事じゃない。」
姫神は、淡々と事実を語る。そして、事実をありのままに受け入れる覚悟を示す。
「なら、謝罪はお互いにここまでにしよう。」
「…うん。」
「聞いていいか。」
「答えられる事なら。」
小狼は、姫神の眼をまっすぐに見据える。姫神もまた、彼の眼を視て答える。
「裏のニライカナイからこちらのニライカナイに、あの人達は還れたのか。」
姫神は、瞳を軽く閉じる。
「…半分。
 小狼が強く願ったから、半分、還れた。」
「…」
こわばった表情のまま言葉を聞く小狼に、姫神は続ける。
「ユタ…小狼が選んで、戦って、願ってくれなかったら、
 還る者はなく、表と裏は融け合って、ここは『根の国』になってた。
 …だから、有難う。」
「…おれからも、礼を言いたい。」
姫神は、小狼の言葉を曇り無い表情で耳を向ける。
「夢を伝って、御嶽に水を運んでくれただろう。
 さくらと一緒に」
「うん」
その言葉に、黒鋼、ファイ、そしてモコナが吃驚する。
「裏のニライカナイの番人だというひとが、みせてくれた。
 あの時、助けてくれて、有難う」
謝意を向けられた姫神は、小さく首を横に振って、答える。
「二人だから、出来た。」
「夢で逢えたら、伝えてくれ。
 さくらにも、有難う、と。
 …おれには、夢は渡れないから…。」
さくらの身を案じながら、小狼が想いを伝えると、
「…必ず、伝える。」
姫神も、真摯に小狼の言葉に応じた。
「モコナ。」
「はい」
短く小狼がモコナに呼び交わすと、モコナは口からもうひとつのものを出す。
「これは…」
姫神は、取り出されたものを見て、息を呑んだ。
「このニライカナイで必要になるものを、おれに送ってくれたひとがいる。
 そのどれもが、おれを助けてくれた。」
小狼は、四月一日から送られた4つの品物のことを口にした。
3つのものは、これまでに使った。二人の眼前に現れた、残る一つ。…『待ち人』の訪れと共に咲く、季節外れの桜。その枝から生える、見た事のない桜とは異なる可憐な花。
「在るはずのないところに咲いた、在るはずのないもの。」
『ひょん』と呼ばれたこの花の価値を、姫神はたちどころに解する。
「…この花なら、儀式を経れば次の御嶽の基になる。」
「頼める、か。」
姫神は、縦に首を振る。小狼は、ようやく表情をほぐす。
「やっぱり、もう一度言わせて欲しい。」
姫神は、改めて両の手の指を揃える。そして、右近・左近ともども、小狼に向かい、深々と頭を下げる。
「本当に、ありがとう」
 
夜。
ニライカナイの宿りに戻った小狼は、すやすやと眠るモコナの額の宝石を介して、四月一日と語り合う。
「…そうか。
 だから、あの時、視えたんだな。」
四月一日は、失いかけた意識の中で瞼に写った像を思いかえす。
「小狼…、だったな。」
「…ああ。確かにあれは、あの時消えた、小狼だった。
 御嶽が時をとめたとき、小狼はまだ呼吸をとめていなかった。
 …おれの腕の中で、確かに生きていた。」
四月一日の表情に、憂いの影が差す。
「…けれど、御嶽に水が流れてきたすぐ後、小狼は消えてしまった。
 どうすればいいか、分からない。
 何をすればいいのか、今は分からないけれど、
 小狼は、いる。
 今までは『希望』だったかもしれないけれど、今は違う。
 ニライカナイで、はっきりわかった。」
小狼は、言葉を続ける。
「おれが諦めない限り、必ずまた会える。
 …おれにとって、それが得られた最上の答えだ。」
「…小狼…」
小狼の表情に光が差す様子を、四月一日は見逃さなかった。
「君尋は…」
「おれが依頼品を集める為に行った世界の侑子さんは、侑子さんじゃなかった。
 でも…、小狼とはまた別だけれど、おれも答えを得たよ。
 侑子さんと逢う為の…」
「…君尋…。」
小狼は直感した。四月一日が掴んだ答えが、己のものとは異なる事を。
「…さて、気になっていたんだが、
 渡したものがひとつ、まだ手元にあるのかな。」
気を取り直すように面持ちを変えた四月一日が、小狼に問いかける。
「中にあった花は受け取るけれど、この籠は返す、と姫神が。
 貴重なものだから、と。」
「なるほど。」
小狼を介した言葉に、四月一日は姫神の『力』を窺い知り、彼は『文字通り』目を細める。
「では、モコナを通じて返却、ということで。」
「本当に…有難う。」
四月一日は穏やかな表情で、小狼に笑顔を向ける。
「旅路に、幸多からんことを。」
ほどなくモコナが意識を取り戻す。
 
「お話、終わった?
 いい星空だから、夕飯、外にしようと思って。」
ファイと黒鋼は、縁側に食卓をこしらえていた。頃合いを見計らい話しかけたファイの肩に、モコナが飛び移る。その拍子に、小狼の足下がふらつく。
「お。」
小狼がファイに、ファイの肩に乗るモコナが黒鋼に。期せず、4人がひとつにつながる。
「小狼君?」
思わず躰を預けた形になった小狼は、そっと呟く。
「…心配かけて、すまない…。
 それと…有難う」
「心配するような事はないほうがいいけど、謝る事は何もないよ。
 ね。」
ファイは、小狼の肩を優しく叩きながら応えるとともに、黒鋼に同意を求める。
黒鋼もまた、小狼の頭をわしゃわしゃと掻きながら、
「御嶽の中で何があったか、言えるか。」
と身を乗り出して尋ねる。
「うん、話す。
 聞いて欲しい。」
素直に応じる、小狼。
「なら、いい。
 ひとりで抱え込まないなら、な。」
黒鋼は、にっこりと笑う。体格だけではない懐深さを帯びた笑みは、ファイが戯れに呼ぶ『お父さん』の貫禄そのものだった。
突然、空に異音が響く。ほどなく、次元のわれめが渦巻き、一人の旅人がそこから現れる。
「やっと着いた。
 あれ?お邪魔だったかな?」
やって来たのは、封真。彼らがこの地に留まっていた理由が、彼を待つためだった。その封真が背負った筒状の物に、モコナが声を上げた。
「黒鋼のお手々!?」
「そう。お届けにきました〜!」
これみよがしに義手を見せる封真に、ファイは
「ちょうどいいや。
 封真君、夕飯いっしょにどうー?」
と誘う。
「いただきまーす」
「おっせぇんだよ!!」
「いやー、これでもすごく急いだんだよ?リゾートでのんびりする暇もないくらい。」
「おてて以外のお土産はないの?」
満天の星がきらめくニライカナイの星空の下、一行と客人のコミカルなやりとりが交わされる。…夜の帳とともに、大切なものを守りぬくために辛苦を重ねたニライカナイでの闘いが、幕を下ろすのであった…。