鉄道と航空、そして自動車が得意とする距離はどれぐらいでしょうか。 下にある「輸送分担率」をご覧下さい。これは、距離ごとに利用する交通機関の割合をグラフにしたものです。 鉄道の輸送分担率 |  | 実線部は昭和50年度を、破線部は昭和60年度を表す。 注 1. 運輸省「旅客地域流動調査」による。 2. 距離帯区分は、県庁所在地間の鉄道距離を基準とした。 3. 斜線部は10年間における輸送機関分担率の変化を表す。 | 図表:「運輸施設工学」配付資料より | | この図からわかることは、鉄道がもっとも「得意」とする領域はおよそ400km〜600kmの距離。東京を起点にしますと、名古屋〜神戸、仙台〜秋田、新潟まで。つまり、新幹線がカバーしている領域です。 鉄道がもっとも得意とする距離で、さらにライバルに差を付けたい。そこから今の新幹線の技術開発が始まるのです。 日本には二種類のゲージがあります。ゲージとは二本のレール幅のことで、新幹線や関西の私鉄が主に用いる「標準軌」と、JR在来線やそのほかの私鉄が用いる「狭軌」があります。 ゲージが違うと、「線路」の上でも列車が走られないことになります。新幹線と在来線は同じ線路の上を走ることはできません。むかし、日本が日露戦争に勝ち、賠償として南満州における鉄道の租借権を奪い取った際、まず日本軍が行ったことは「改軌(*1)」でした。戦時中、鉄道は戦地に兵士を運び、搾取(*2)した物資を運び、自国の商品を市場へと運ぶための貴重な手段だったからです。鉄道網の拡大はすなわち、その沿線の資源や人民と富を自国の支配下に置いたということと同義でした。 特に列強が集中していたヨーロッパでは、いつ他国に攻められるかわからないという危機ととなりあわせにいました。鉄道の有益性を認めながらも、いつ乗っ取られるかわからない。そこでゲージを標準軌よりも広くすることで、他国に乗っ取られることを防ごうと考えた国々があります。標準軌よりも広いゲージを「広軌」と呼びます。それぞれ国によって正確な幅はさらに異なりますが、スペイン・ポルトガル・ロシア・モンゴルがこの「広軌」を採用しています。 しかし、日本で二種類のゲージが誕生したのは戦後のこと。では、日本にはどうして二種類のゲージがあるのでしょうか。 技術者・モレル |  | 当初計画していた高価な鉄製枕木をとりやめさせ、日本の風土にマッチし、材料も大量にある木材に変更させたのが彼である。なお、鉄製枕木は現在JR西日本が省メンテナンス化を図るべく採用しつつある。 | 写真:「鉄道の語る日本の近代」より | | 明治維新が起こり、様々なシステムが欧米各国から日本に入り込みました。当時の日本は、まるでスポンジが水を吸い込むようにたくさんの知識を吸収し、その結果短期間で大きく成長しましたが、あまりにも発展を急いだため、時には無批判(*3)に模倣(*4)していました。その代表がこの鉄道でした。 明治新政府で鉄道建設を進めていたのは大隈重信でした。彼は日本初の鉄道を東京・京都間に敷設しようとしていましたが、技術から資材までのすべてをイギリスに委ねていました。もちろんイギリスから説明はきちんと受けています。しかし、当時の日本人には「ゲージ(軌間)」「スリーパー(枕木)」というものが何なのか、それが鉄道にとってどのような役割を果たすのか分かっていません。 当時の資料に、狭軌を採用したときの大隈重信の言葉が次のように残されています。 伊藤(博文)公などは大分博識で、一遍英国へ往ってゐるが鉄道の事は丸きり素人で解らない。濠洲の鉄道を造ったモレルと云ふ英国人の技師を傭って釆てどんな鉄道を造るかと訊くと、ゲージはどうしませうと云ふ、ゲージとは何だ(笑)と云ふやうな有様で、段々外国人の説明で略々解って釆た。乃で元来が貧乏な国であるから軌幅は狭い方が宜からう。世界にソンナのがあるかと訊いたら濠洲に昨年出来たばかりで中々評判が宜しいと云ふ。ソンナラ濠洲のものに倣って造ったら宜からう、それで決まった。 (『帝国鉄道協会会報』第二一巻第七号) 狭軌はニュージーランドやセイロン、南アフリカなどイギリスの植民地で採用されてきたゲージで、たしかにイギリスとしても都合がよかったようです。彼は資金の調達や鉄道建設反対派の説得など、ゲージ以上に気をもまなければならない点がありました。そこで狭軌を採用したのですが、後に自ら積極的に鉄道について勉強しなかったことに対する自省の念を述べています。 先の資料に「元来が貧乏な国であるから軌幅は狭い方が宜からう」とありますが、なぜ標準軌の方がよいのでしょうか。 底面の違いによる揺れに対する抗力 |  | 底面の違いによる揺れに対する抗力を概念的に示した。底面が小さい左側の方が揺れやすいというのは感覚的におわかりいただけるであろう。ちなみに、実際の横に対する高さの比率は、新幹線(E4系)が1.33に対して、 在来線(285系)が1.39。わずか5%程度の差である。 | | 狭軌は呼んで名の如く、標準軌(1435mm)よりも線路幅が狭い(1067mm)ので、その上に乗る車両も当然小さくなります。貧乏だった明治維新後の日本ならばその方が「安く」あがってよかったのですが、車両が小さければすなわち輸送力、つまりお客さんや載せられる荷物の量が少なくなります。また、狭い線路幅だと車両の安定性が悪くなります。たとえば同じ高さの直方体を考えてください。底面が大きい方が倒れにくいのは当たり前のことでしょう。 「倒れにく」ければ安心してスピードを出すことが出来ます。下りが長く続く、その気になれば自転車であろうと、自動車並の時速50km程度で走ることも出来る坂があるとします。しかし、同じ二輪でもタイヤが太い原動機付き自転車では時速50kmは苦になりませんが、タイヤが細い自転車ならいつ倒れるかわからない恐ろしさを感じることでしょう。 スピードが出せる=それだけのスピードで走っても安全だという訳ではないことに注意してください。狭軌の場合、時速200kmが限界だと言われています。 ですが一方で、線路幅が大きいことによるデメリット(*5)もあります。 先に「輸送力が大きくなる」と述べたましたが、それだけたくさんの人や荷物を載せますと、それだけ車両が重くなります。日本の地盤はそう固くないので、標準軌の車両を支えるには、それなりの地盤に改良する工事を行う必要があります。さらに、日本は山岳地域を多く抱えていますので、鉄橋やトンネルが数多く必要となりますが、車両が重いと鉄橋もより頑丈に作らなければなりませんし、トンネルもより大きなものが必要となります。 狭軌よりも線路幅が広いので、当然用地もたくさん必要となります。高架橋の場合、狭軌は10mの幅を必要としますが、標準軌の場合その2割ほど多い11.5mが必要です。列車の重量が大きいことと関係して、まくらぎ(*6)や盛土もより多くの面積が必要となります。 しかし、それでも標準軌の方がより優れているであろうと信じた鉄道技術陣は、列車本数が限界に達しつつあった東海道線を「別線増強(新たに二番目の東海道線を作る)」するということでついに鉄道の新たな形を生み出しました。それが東海道新幹線だったのです。 (*1) 改軌=ゲージ幅を変えること。ロシアの鉄道は、日本のものよりもゲージ幅が広い。 (*2) 搾取=奪い取ること。 (*3) 無批判=物事の善し悪しを考えないこと。 (*4) 模倣=まねすること。 (*5) デメリット=不利な点。 (*6) まくらぎ=近年ではコンクリートなど多様な材料で作られるため、漢字での「枕木」ではなくひらがなで表記する。 | |