第六節で、個々の問題に対する解決法をお話ししました。しかし、これだけで全てが解決するほど問題は甘くありません。 まず第一に、はじめに述べた「コンクリートのお医者さん」にあたる「コンクリート診断士」(*7+)という制度がまだ確立されていません。人を診察するお医者さんは国家試験を受けて医者の免状を持つ人なら、ある程度の信頼をおくことができます。が、コンクリートを診察するのは個々の工事職人(技術者)の経験に委ねるところが大きいのが現状です(*8)。コンクリートの全てを把握するには、数多くの現場を見て回り、経験を積む必要があります。そのため「診察ミス」を犯し事故を防ぎきれないことや、診断はしたけれど必要以上の治療を施してしまい無駄な費用をかけてしまうことが多々あります。 打音検査と判定方法(1) |   | 上図はトンネル断面の法線方向に、まっすぐなき裂がある場合。この場合、叩く方向が(1)でも(2)でも、「カンカン」と清音が響く。 一方、下図ではトンネルの法線方向に対して斜めに走るき裂がある場合で、音がすすむ方向に対してき裂が存在しない(3)の方向では清音が、き裂が存在する(4)の方向では「ボコボコ」という濁音がする。 | 図・説明:日経コンストラクション '99/9/24より | | 第二は、コンクリートの性質をまだ誰も完全には理解していないということです。 コンクリートは古代ローマの水道橋にも使われるなどその歴史は古いように見えますが、現在工事現場で使われているコンクリートは1824年にアスプディンが製造したセメントが元になっています。その歴史はまだ200年にも及んでいません。 先にメカニズムを述べた「アルカリ骨材反応」一つを取ってみても、まだ完全な理解がなされていません。 これまで反応する物質の違いから3種類に分けて研究が進められてきました。しかし、最近の研究結果によると、実は3種類と思われていた反応が1種類だったとする報告がされています。つまり、原因と思われたものの推定方法が誤っていた、ということになります。 打音検査と判定方法(2) |  | 上図ではコールドジョイントがある場合で、基本的な原理はき裂と同じ。き裂のないコールドジョイントでは清音がする。しかし、き裂が大きい場合や、トンネル内部に空隙などが弱部がある場合は濁音がする。 打音検査だけでは濁音の原因がコールドジョイントの影響なのか、内部の弱部の影響なのかは区別できない。全てが危険なコールドジョイントとは考えられないが、JR西日本では安全を見込んでこうした濁音箇所に落下防止の予防措置を施した。 | 図・説明:日経コンストラクション '99/9/24より | | 検査方法自体にも疑問が残ります。これまで日本で標準とされてきた検査方法では、反応するはずの骨材を見逃してしまうことが最近わかってきました。つまり、それまでアルカリ骨材反応は起こらないと考えられていた場所から反応が起こってしまうことが、実際に起きています。 先ほどの「アルカリ骨材反応」は化学的に「ものがこわれる」現象を考えたものですが、物理的な観点から「ものがこわれる」というメカニズムもまだ十分には理解されていません。 「物理的な観点から」とは、重い物を載せれば橋が壊れるという考え方に立つことです。たとえば、おもちゃの鉄道模型が走れる橋に実際の鉄道車両を走られれば、その橋はおそらく壊れるでしょう。その橋に何を走らせるのかによって、必要となる橋の大きさや強さが変わります。 これまでは橋が持つべき強さを考える際、コンクリート橋上にかかる重さはコンクリートが耐えられるであろう力の1/3までとして計算して橋を造ってきました(*9)。しかし、近年では構造物の重要性や構造物中の場所ごとにかかってもよいとされる限界の重さを考慮する方法に切り替わりつつあります(*10)。考え方としては、たとえば大きな地震が起こったときでも重要度の高いものは守りきり、そうでないものについては修理をすれば使える、もしくは壊れたとしても最低限人が橋の下敷きになるまえに逃げ出せるほどの時間を持たせられるようにするものです。しかし、どのようにすれば「安全な壊れ方」ができるのか、どこを壊せば「容易に治せる」のか…。その「壊れ方」についての研究も行われています。 「作る」ことで豊かさを支えてきた高度成長時代。それは、多くの物を作り続けることこそが社会の発展に寄与すると思われていた時代でした。どんな不況の時も、国は公共投資として税金や借金をして集めたお金を建設業につぎ込み、橋やトンネル、鉄道や道路を作っていくことで、職を追われた人たちを建設現場が受け皿となり、生活の糧をそこから得ることができました。こうしてできあがったものは生活の足となり、さらなる経済成長のための「翼」となっていったのです。 実際の打音検査の風景 |  | 打音検査の判定は人間の耳と、その判断による。従って、個人差が出る宿命にある。 | | | しかし、一通り必要なものが揃った今、新たに作ったものが社会に与えるインパクトは小さくなり、作業の効率化によってその恩恵を受ける人たちが少しづつ少なくなりました。さらに、新たに使える資源は姿を消し、借金の返済に追われる国は新たな公共投資を十分に行えるだけの力を失いつつあります。もはや、新たに公共投資を行う力も、資源も、効果もなくなりつつあるのです。
2005年。これまでに作った構造物が一斉に壊れ出す−そんな恐るべき近未来図が、当の土木工学研究者の間で囁かれています。高度成長期、大量に作られた問題ある土木構造物が一斉に寿命を迎え、機能を果たさなくなる−。国が新たに構造物を作るだけの力を持ち得ないとすると………、そこには変わり果てた廃墟の世界が広がることになります。 そんな最悪の事態を避けるにはどうすれば良いのでしょう? そう、今ある構造物を修理しながら大切に使っていくしかないのです。 「つくる」時代から「維持し、末永く使っていく」時代へ…。 山陽新幹線における一連の事故。それは、新しい「ものづくり」の考え方へ転機を促す幕開けだったと言えるでしょう。 (*8) コンクリート診断士の資格は平成13年度からスタートした。また、コンクリートを維持管理する上でのマニュアルである「標準仕法書」が平成12年秋に新たに刊行された。 なお、本章は2000年8月に執筆されているために、一部にタイムラグがある。 (*9) 許容応力設計法のこと。 (*10) 限界応力設計法のこと。 | |