鉄道、それは安全な乗り物。多くの人を一度に運ぶ鉄道、そして次から次へと着いては出て行く鉄道。 東京をはじめとした大都市の交通の主人公であり、街と街とをつなぐ鉄道は、人口が密集し、高度に発展した日本という国を支えるには必要不可欠な存在になりました。 1時間あたりの死亡率をみてみましょう。この10年間での、日本の鉄道の死亡率は2.9×10-8。これは、日本の航空の危険度がゼロであることと比べれば及びませんが、世界全体でみれば2×10-7、自動車による交通事故の1.2×10-7に比べればかなり低い数字といえます。しかも、「プラットホームから落ちて電車に轢かれた」というケースを除いた、列車に乗って事故に遭う確率は、なんと6×10-10、新幹線に至っては、列車に乗っている乗客が死亡する事故は、開業以来36年間、一度もありません。いまや鉄道は、比類なき安全性を誇る乗り物といえます。 しかし、その安全は一朝一夕に得られたものではありません。鉄道の歴史は、事故との戦いの歴史でもあるのです。 その昔、鉄道での旅というと、今生の別れを想起させるほどの苦難に満ちたものでした。 1865年にアメリカの週刊誌「ハーパーズ・ウィークリー」には、次のような記事が載せられました。 「現在死神はその標的を旅行者に置いている。毎日死亡事故の報道が続いている。昨日は衝突、翌日は機関車の爆発、そして列車全体の堤防からの転落事故、川への墜落事故がつづく。安全への不信の念は高まっていて、無事に目的地に到着した乗客はほっとした開放感に包まれる。今年鉄道事故で失われた生命はいかなる激しい戦場での死者よりも多いのである。」 では、なぜ、そんなにも事故が多かったのでしょうか? まず、理由の第一は、第一章にも記しましたが、鉄道は「線路の上しか動けない」ことが挙げられます。目の前の線路に、他の車両や岩などの障害物があっても、鉄道はよけることができません。 第二は、ブレーキ能力の低さが挙げられます。レールという鉄の上を、車輪という鉄のものが転がることで前に進む鉄道は、アスファルトという凹凸に富む物体と、ゴムという滑りにくいものでできたタイヤでできた自動車に比べ、格段に滑りやすくなっています。それゆえに一度加速がつくとスピードが落ちにくいため、「地球に優しい」省エネルギーの運転ができるのですが、逆を返せばいざというときの対処に苦しむのが鉄道といえます。 第三は、鉄道というものの大きさにあります。 たとえば、いま、1両の貨車があります。 この貨車が人をはねて命を奪うには、どれだけのスピードが出なければならないのでしょうか? …答えは、時速わずか8km。人が小走りに駆ける程度の速度です。 鉄道車両は、小さな貨車ですら10tほどの重量があります。それゆえ、わずかなスピードでも、車両が持つ「運動エネルギー」は相当大きなものになります。野球の硬式ボールが平均145g。時速8キロの貨車がもつエネルギーを野球のボールが持つためには、およそ時速660kmもの速さが必要となります。 世界で最初の人身事故が起きたのは、世界で最初に鉄道が誕生したイギリス。それも公式開業日である1825年9月15日、開業を祝した記念列車が蒸気機関車に水を補給するために停車したときに起こりました。開業式典に招待されたハスキッソン卿は、同じ列車の招待客だったウェリントン侯爵に挨拶をしようと、複線に敷かれた線路を渡ったとき、もう一本の線路を走ってきたSLに左足の大腿部を轢かれてしまったのです。鉄道建設の反対者を説得して鉄道の設置に尽力した功労者は、その夜病院で亡くなります。その後の長い戦いを暗示させる、皮肉めいた鉄道の幕開け。それから現在に至るまで、鉄道は数々の事故から何を学んできたのでしょうか? 初期の鉄道は、馬車で引いていた荷物や人間を蒸気機関車が代わりに牽くという考えで作られました。そのため、機関車を走らせることばかりに目がいき、事故を防ぐための手だてまでに考えが至りませんでした。その後、鉄道の建設は次々と進み、旅客や荷物の輸送量も格段に増えていきましたが、同時に事故も続々と起こり、無視できない問題となったのです。そのときイギリスの鉄道監督員は繰り返し「ロック、ブロック、ブレーキ」の整備を鉄道会社に訴え続けました。 イギリスでの主な事故原因 |  | 鉄道草創期の事故では、犠牲者を伴う重大事故が多発した。図は1800年代の発生件数と主な事故原因の関係を調べた物で、列車同士がぶつかる追突・衝突事故は発生件数にして55%、死者数にして60%と過半を占める。 | | | 現在も生きる鉄道の基本、「ロック、ブロック、ブレーキ」。 三種の神器ともいえるこれらのキーワードが果たす役目は何だったのでしょうか? …次節ではそれらについて詳しく述べていきましょう。 |