ヘルパーとしての夏 |
旅の楽しみ方- 第 12 章 |
私は大学でユースホステル部に入っていたこともあり、瀬戸内と四国の「某」ユースホステルでヘルパーをしたことがあります。 瀬戸内の某ユースホステルは民宿と兼営で、夏場は海水浴場を眼前に控えていることもあって海の家らしきこともやっており、仕事はかなりの激務でした。 朝7:00前に起床し、朝食の準備。民宿とユースホステル宿泊者の朝食を出し、後かたづけをした後に自分たちの食事。9:00ごろから風呂掃除、そして終わり次第寝室や建物の掃除を開始。これがなかなか大変で、特に民宿はポットのお湯を交換したりするためにかなりの手間がかかります。昼ごろには海水浴客のための昼食準備。といってもカレーやチャーハン程度なのでさほど手は掛かりませんが…。掃除が終わって14:00か15:00ごろ。目の前の海で泳ごうという気にもなれず、食堂の座敷で昼寝。で、16:30から夕食の準備と風呂の支度。民宿の食事の量が多く、たしか8〜9品あったような…。自分たちが食事にありつけるのは22:00ごろ。で、入浴などを済ませると就寝は24:00を回っていたような…。 四国の某ユースホステルの仕事では、年に4日間あるお祭り(○○踊り…といった時点で全てが見えます?)のシーズンをいかにして捌けるかが最重要課題でした。 プレリュードともいえる日々は、仕事の内容自体は先述のものと代わりませんがゆとりの時間が多く、11時から16時ぐらいまではボーッと出来たような…。仕事が終わったのも21時ごろだったと思います。 その反面、修羅場の日々は宿泊受付が13時から始まります。入浴も14時頃から、夕食は15時からでしたから、休憩時間なんてありません。こんなに早いのは、宿泊客に着物の着付けを行い、踊りの練習をしてもらうからなのです。18時前に貸し切りバスで演舞場へ向かい、市中で踊り流した後21時30分頃ユースホステルへ戻ってきます。それからすぐに夜食の準備。片づけて入浴を済ませばあとは寝るだけ。翌日は朝食を出して掃除をはじめて…とやると仕事だけで一日が回ります。 私がヘルパーをした年、折からの台風接近で20年ぶりに踊りの中止が宣言されました。 しかし、時既に遅く、先に述べたように着付けも踊りの練習も終え、バスはユースホステルを発車した後。中止が知らされたのは市中へバスが到着したときでした。寝耳に水とはまさにこのこと。市内の演舞場は閉鎖されていましたが、アーケードがある商店街なら踊れるだろうと町中に繰り出します。 プログラムの中には「記念撮影をする」というのが含まれています。そこで、宿泊客の点呼を取ろうと適当な広場を見つけ、そこで集合をかけました。その広場、いわゆる「ポケットパーク」で、円を描くにはちょうどいい大きさ。ご丁寧にも舞台までありました。そこでしたことは…、もうご想像には難くないでしょう。 突如広場で円陣を組んで踊りをはじめた一同。すると、次第に踊りの中止で不満な様子の観光客が群がってきます。もはや見せ物。しかも、新聞社やテレビ局(アナウンサー付き!)まで来る始末。踊る側も次第にヒートアップしていきます。次第に強まる雨足も、高まる興奮の熱を冷ますにはちょうど良かったのかも知れません。 しばらくその広場で踊り続けた後、アーケードをはじめ各所で踊り流す一同。バスに乗り込んだとき、参加者の顔には明らかに満足げな色がありました。 しかし、ビニールを被すことすらしなかった和紙で出来た提灯は、さすがに雨には耐えられなかったようです。ユースホステルに戻ったときには既に原型をとどめぬ提灯を見たペアレント(宿主)は青ざめるやらあきれるやら。 そして祭りの後、台風一過の晴れ渡るある朝のこと。NHKニュースの時間に放送されたこの年の踊りの総集編で、そのしんがりを務めたのは、見事に雨の中崩壊していく某ユースホステルの提灯だったのでした…。 こんな「祭りの裏側」を見られるスタッフの側面が、ヘルパーにはあるのです。 |
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