「直流」と「交流」。「電気を流す」というその一点に於いては同じなのですが、その仕組みは異なります。 直流は電圧を変えずして電流を流す方式です。一方の交流は電圧が時間とともに規則正しい波を描くように変化していくものです。発電所から送られてくる電流は交流であり、それも波形が一つだけではなく三つあり、それぞれの波形を重ね合わせると「0」になる「三相交流」とよばれるものです。 「電車」と一言で言っても、この「直流」と「交流」があるわけです。でも、どうして二種類も必要となったのでしょうか?…それをこれから考えていきましょう。 歴史的には直流電化の方が古く、営業を始めたのは1895年。電気を変電所にて電車が使いやすい形(*7)にしてから架線(*8)に流すので、電車上の設備はモーターだけとシンプルになり、したがって安く電車を作ることが出来ます。 おもしろいデータがあります。下の表は1964年に高山線を電化しようとしたときの試算です。高山線は岐阜から高山を経て富山へと向かう、全長225.8kmの山間の路線です。「直流」の場合は全線を、「交流」の場合は岐阜から27.3kmの位置にある美濃太田までを直流とし、残りを交流とする場合です。
お分かりのように、地上設備は直流の方が、車両設備は交流の方がコスト(*9)がかかります。このことから、本数が多い大都市近郊路線には直流が、本数がさほど多くない地域には交流が適していることがお分かりになることでしょう。
交流の発祥の地は2カ所あります。一つは山形県内に、もう一つは福井県内にあります。この2ヶ所で、日本に2つある商用周波数(50Hzと60Hzがある、といえば何となくお分かりでしょう)に適応できるかを試してみたわけです。 さて、そういった経緯もあり、北陸は交流が幅を利かせているかのように思われます。しかし、その中にも例外があります。富山港線と七尾線です。なぜこの2路線が交流大国の中で直流となっているのでしょうか。次はそれを考えていきます。 富山港線は富山県の中心にほど近い富山駅と富山港を結ぶ8.0kmの近郊路線です。ですが、本数はラッシュ時でも30分に一本とそう多くありません。用いられている車両は交流と直流の両方を走ることができる「両刀遣い」というべき車両。富山駅からは交流の北陸線が走っています。交流のメリットは変電所間隔を長くできること。交流の変電所は40km間隔という広い範囲をカバーできますので、富山港線に変電設備を設けずとも北陸線のものをそのまま用いることも出来たはずです。実際に富山港線の変電設備が老朽化し、更新(*10)の必要がでたときに論議されたそうです。しかし、今もここは直流です。 ここで「電波障害」という名の、宿命の一端が現れます。次ページで参考文献「ここまできた!鉄道車両」の説明を紹介します。
上の「通信誘導障害」が「電波障害」と解釈してよいでしょう。要約すると、変電所から出た電気が電車上で用いられ、変電所へ戻っていきますが、その経路にレールを用いると電流が漏れだし、電波障害を引き起こします。その度合いはレールから近ければ近いほど大きくなります。沿線が見渡す限りの牧場…というのなら話は別ですが、人口が密集している日本ではそれは無理でしょう。
たとえば、電波障害によって、テレビにノイズ(*11)(ちらつき)が写ります。一週間待ちわびたあなたのさくら(木ノ本桜)ちゃんのかわいくりりしいお姿を、たかが電波障害ごときに曇らせてなるものでしょうか。いや、ならないでしょう。おそらくや、標準モードでS−VHSのテープを使って気合いばりばり300%で録画している画像にもノイズが入っているでしょう。そうなると何度見返してもそのノイズが晴れることはありません。やがてあなたはこう叫ぶでしょう、 「鉄道なんて廃止してしまえ!」と。なぜなら、さくらちゃんの微笑みは、一国の交通、政治、経済よりも、いや、いかなるものよりも尊いものなのですから。 【………作者の思考能力にノイズが入った模様です。 このほかにも、「電食」という現象が発生します。これは、地中の水道管など金属でできたものが、漏電した電流によって電気分解され、穴があいてしまうという現象です。
これらのことを防ぐために防ぐために、現在は「ATき電方式」という、レールとは別に電流吸い出し装置と言うべきものを設けますが、これにかなりの費用が費やされます。話が長くなりましたが、結局富山港線は元の直流のままと言うことになったのでした。ちなみに、このATき電装置のおかげで、本来地上設備投資が少ないのが交流の「売り」だったにもかかわらず、結局直流とコストがほとんど変わらないというものになってしまいました。
では、七尾線の場合はどうでしょうか。七尾線は金沢(正しくは津幡というところ)から市民の3割がUFOを見たことがあるという羽咋を通って、中能登の中心・七尾や温泉で知られる和倉へとつづく路線です。ここは平成2年に電化がなされましたが、その際に直流が選ばれました。それはなぜなのでしょう? 今度は交流の電圧の高さが響いてきます。建築限界というものをご存じでしょうか。列車の走行やそれに付随する設備が、他の障害物に当たらないように一定空間をあけることになっています。交流電化の場合、直流よりも余計に空間をあけなければなりませんが、その理由が「送電設備と構造物が近接していると、接地現象が起こる」ということなのです。接地とはショートのことです。構造物といえば、線路をまたぐ道路橋やトンネルがこれに当たります。 いずれにしても、交流電化の場合、直流電化の場合よりも大きな構造物を作らなければならないために費用がかかってしまいますし、交流電化にするために既設の構造物を作り替えるのには、その影響があまりにも大きくなってしまいます。ですから交流は必要以上には受け入れられないといえるでしょう。 ですが、交流はそれほどにまでだめな存在なのでしょうか。 交流電化方式。その誕生こそが鉄道の超高速化の曙だったといえるのです。
交流では電圧が高いため、同じ電流を流した場合より高いエネルギーが得られます。言い換えると、交流と同じエネルギーを直流で得るためには、より高い電流を流さねばならなくなります。する 交流電化は当初、経済的に電化が行えるものと期待されて登場したのかも知れません。しかし、いまやそののぞみは形を変え、高速化の夢を叶えてくれるのです。
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